
1992年。全日空が町田市にホームタウンを持ちたいということで、町田市に交渉に来た。
町田サッカー協会と町田市と全日空の3者で数回話し合いがもたれた。
言うまでも無く、15,000人収容のスタジアムと練習の為のグランド2面、さらにクラブハウスの敷地などについてかなり具体的な話がされた。
予想される現場の視察まで行った。
この問題は、単なる町田のサッカー界だけのことではないと判断、さっそくJC関係者にも相談し、3者の話し合いに加わってもらった。
そして「町田にJリーグチームを誘致する会」が発足した。
しかし、町田市は、この全日空の要求に答えることができなかった。
全日空の要求から考えると、当時で50億円以上の資金が必要であったと推測される。
5年くらいの準備期間があったら町田市も何とかなったかもしれない。
しかし、あまりにも急な出来事であったから無理もないことだとも判断できる。
それでも「誘致する会」は、この問題には希望と情熱をもって思索した。
当時、ホームタウンを決めていなかった他チームなども視野にいれ、当たってみた。
結局、「誘致する会」は、その話し合いの中で「誘致の可能性」ということを一方におきながら、町田市に日本で初めての「総合スポーツクラブ」を創設しようじゃないかという考え方が出始めた。
町田としてはとりあえず、それをサッカーから始めようということになった。
すでに、町田サッカー協会の中には、当時の日本では珍しい小学生からTOPまでのピラミッド組織は存在した。
これをさらに充実したものに発展させ、理想的なピラミッドを完成させたいという方向をこの「実現する会」で探っていくことにした。
そのためには、FC町田の社会人チームに愛称をつけ、「市民に認知されたサッカークラブ」にしようということで、「ゼルビア」という愛称を決めた。 FC町田ゼルビアの誕生である 。
「町田にプロサッカーチームを実現する会」
97年度 定期総会(1998年6月2日開催)資料より抜粋、一部改訂